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《長虹秋霽》琉球八景のナゾ 05

2016-9-22 18:54| 发布者: 台灣獵戶人| 查看: 898| 评论: 0|原作者: 八重王

摘要: 清康熙皇帝钦命册封琉球使徐葆光的中山傳信録。图为:清乾隆皇帝钦命册封琉球使”周煌” 的琉球国志略,绘图。
琉球八景のナゾ05,《長虹秋霽》
文:芙蓉庵



仮説は追々書くとして。。。
検証するには、自分の足で歩き、現場を知ることが大切。
ひとつずつ、描かれた場所を歩きました。
まずは「長虹秋霽 ちょうこうしゅうせい」。
同タイトルの漢詩「長虹秋霽」を詠んだのは
冊封副使の徐葆光(じょほうこう)です。
(2つ前の記事参照)

彼が「院旁八景 いんぼうはっけい」の中で
この詩を詠んでいなければ、
周煌(しゅうこう)が「球陽八景」を残してなかったし、
北斎が、球陽八景を見ていなければ、琉球八景を描くことは
できなかったわけで。。。
それを考えると、徐葆光の存在は大きいです。

徐葆光はあの「中山傳信録 ちゅうざんでんしんろく」の著者です。
(中山とは琉球の別称)
" あの " と強調したのは、中山傳信録は、琉球を知る上で
重要な資料として知られているからです。

周煌が書いたのは琉球国志略でしたが、徐葆光は中山傳信録。
いずれも中国の皇帝へのレポートですね。
でも、「院旁八景」は、公文書である中山傳信録の中でなく
「舶中集 はくちゅうしゅう」という私文書にある漢詩です。

ハナシがそれてしまった。どんどんそれそう。。。
ではちょっと戻して。

「長虹秋霽」の詩は下のとおりです。

   跨海臥長隄
   秋來宜曉望
   腳底彩雲生
   月在虹霓上



IMG_20160907_201032.JPG

上图:琉球列岛-琉球群岛-大琉球岛-那覇市内のゆいレール「美栄(みえ)橋駅」下にある看板から。(此图为琉球后人复制攀描绘而成,诗收录于清康熙皇帝钦命册封琉球使徐葆光的中山傳信録。图收录于清乾隆皇帝钦命册封琉球使”周煌” 的琉球国志略)


タイトルにも長虹とあるように、これは海の中の長~い橋のこと。
名は「長虹堤」。絵の中央にもひょろ~っと橋が架かっていますね。
「浮道」と呼ばれる海中道路のことです。

実は、かつて那覇は、いくつもあった島から成っていました。
浮島という名も残っているくらい。
中国から来た冊封使の使節団が、那覇から首里を目指すのに、
船で渡っていくのが不便だったため、長虹堤が作られたのです。
(1452年築)


图:看板には、かつての那覇の鳥瞰図と現在の市街図も載っています

IMG_20160907_201050.JPG


長虹堤は、イベガマという拝所(市街図ではチンマーサー跡)
から崇元寺(現在は跡地)まで、ほぼ1kmの行程でした。

江戸後期にはまわりはすっかり埋め立てられていましたが、
長虹堤跡として、道は往来に使われていました。

下图:1945年,戦前の写真が残っています。

IMG_20160907_201009.JPG


現在は町並みもすっかり変わりましたが、私は
かつて海に架かっていた長虹堤の跡を何往復もしながら
丁寧に歩いてみました。










备注:
1721年[琉球]中山传信录 徐葆光
http://www.liuqiu-china.com/portal.php?mod=view&aid=1520

“今琉球虽隔大海,新测晷景,与福州东西相值仅一千七百里;世世受封、岁岁来贡,与内地无异。
伏观禁廷新刊舆图,朝鲜、哈密、拉藏 属国等图皆在焉;海外藩封,例得附于其次。
若仍前诞妄、不为厘正,亦何以见圣朝风化之远与外邦内向之久,以附职方称甚盛哉!
故于载笔时,尤兢兢致慎云。”
康熙六十年(岁在辛丑)1721年 秋八月,翰林院 编修 臣 徐葆光 谨 序



备注:
1757年周煌 恭进 琉球国志略 于乾隆皇帝
http://www.liuqiu-china.com/portal.php?mod=view&aid=1418

一国之史志、或一地之史志,必为其自国、或本地之官方修撰,古今中外均循此惯例,而日本人胁迫(中国藩属)琉球人所撰写的《中山世鉴》,他们也不敢签署日本人名字。
《琉球国志略》是中国清朝乾隆年间,”周煌”同翰林院侍讲”全魁”所著,主要记载中国藩属琉球的历史和地理概况的一本书籍,由于授皇帝命为册封正副使,而往琉球册封琉球世子成为琉球国王,然而授命往琉球的册封使除了官职加级,授命期间除了可预支加给的俸禄,沿路均受到各路官员尊礼接待,但是册封使们必须在回京后提出使册封于琉球期间的所见所做所闻逐一记录,且必须纂文编冊恭皇帝预览及入典库藏,故不能随意记载而编辑。所以每届冊封使所编纂的琉球使记则是构成研究中国明清五百年来藩属琉球历史的极为重要志书文献,由其该书对于成书前的涉及琉球的史籍文献的不实之处作了很多修订。该书开明宗义地说,更能让国人深知“琉球是为中国属国之一,中国是为藩属琉球的宗主国”:
“琉球之有新志,尤是使录之旧例尔,但录系使臣一人之事,而志则关一国,故实所存方今中外一统琉球被化尤深且久,似宜从中国诸道都县之例,故以志体拟录庶益坚其向化悃忱抑或可宣付史局采臣所纂俾附方则出自圣明鉴裁非臣所敢擅请也”。可见在明清时代,琉球国是中国一个属辖的地方,而纵览明清皇帝给琉球国王的诏书,均可以看出琉球国是世世代代固守中国海疆的忠诚“藩屏”,世世代代“独守臣节 恭顺弥昭 克殚忠诚”。

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